スペキュロース  speculoos

 

                                                                         2014年12月



スパイスの香り豊かなビスケット、「スペキュロース」。ベルギー人にとり、スペキュロースの甘い香りは、子供の頃の思い出につながる懐かしいものだそうです。126日はベルギーの子供にとっては楽しい「サンニコラの日」です。この聖人を模ったスペキュロースが飛ぶように売れる日でもあります。


スペキュロースとは


「スパイス」というと、今日では料理用の香辛料を指すことが通常ですが、古代は「薬全般」または「医療や工芸」に使われる香辛料という意味で、当初はその薬効のためだけに、そして後になって料理にも使われるようになりました。

胡椒は古代ローマの料理に非常によく使われ、9世紀や10世紀になるとヨーロッパ中でシナモン、サフランそして生姜がもてはやされました。特に生姜は、15世紀に最もよく使われたスパイスで、当時のレシピの半数には登場しています。

さて、古代ローマ人はハチミツ入りの甘いお菓子が大好きで、スパイスを豊富に使ったパン・デピス(pain d’épice=ジンジャーブレッド)やビスケットを作りました。自然の恵みのハチミツを使ったパンは神への捧げ物であり、神を模った焼き菓子(ビスケット)は新年を祝うものでした。これがシーザーのガリア遠征によりガリア人に伝えられ、彼らは自然界の悪霊の魔よけとして、髭をはやした怖そうな人物などのビスケットを作りました。


一方、中国でも10世紀にはパン・デピスが作られ、それがヨーロッパに伝わったともいわれています。13世紀、ジンギスカンの騎兵隊はパン・デピスがエネルギー源でしたし、アラブ人もハチミツやエピス(スパイス)、セモリナ粉、胡桃、アーモンド、ピスタチオ、シナモン、サフランなどを使い優れた保存食を作りました。

その後、ヨーロッパの修道院や僧院でパン・デピス作りが始まりました。小麦粉、胡桃、そして薬用のスパイス類を大量に貯蔵し、独自の養蜂所を持っていた修道院は、長期保存が可能なパン・デピスを病人や旅行者用に作り、それが市場に出て商品化されたのです。このように東西文化の融合から生れたのがパン・デピスで、その従兄弟がスペキュロースなのです。


サンニコラ(聖ニコラ) St.Nicolas


なぜ香辛料タップリの薄いビスケットをスペキュロースと呼ぶかには諸説があります。ラテン語で香辛料を意味する「species」から来ているとも、鏡をさすラテン語の「spéculum」から派生して“鏡に映された人物”という意味で命名されたとも、後期ラテン語で司教のことを「speculator」と呼ぶとも、などがあります。この場合の司教とは、4世紀ごろに実在した人物、ニコラ司教を指します。彼は当時ギリシャ支配下にあったパトラス(現在のトルコの南部)生れの司教で、殉死した日が126日です。船乗りの守護神であるサンニコラは、海岸沿岸の国、つまりベルギー、オランダ、ドイツ、イギリスといったゲルマン系言語圏で特に礼賛されています。またサンニコラは子供の守護神としても有名ですが、商人の守護神でもあり、そのためグランプラスには彼の銅像を頂くギルドハウスがあり、広場の近くにはサンニコラを祭ったサンニコラ教会があります。



スペキュロースの老舗ダンドワ DANDOY


 

 12月に入るとスペキュロースやチョコレートで作ったサンニコラが、どこのパティスリーにも登場します。特にダンドワの1メートルもあるかと思われるサンニコラはその見事さで有名です。

ダンドワは1829年創業というビスケットの老舗。ここのスペキュロースは、現在もかなりの部分を手仕事で行っています。生地はさすが機械で混ぜますが、丸めた生地を木型に広げ、針金で木型から余分な生地をこそぎ取り、木型を台に打ち付けて型抜きをするので熟練工の技が必要とされます。スペキュロースとパン・アラグレックが特に有名ですが、パン・デピス、パン・ダモンド、フロランティン、サブレ・オシトロンなどその種類も25種類以上、お茶の友には事欠きません。当店の美味しいビスコットは、パリのポワラーヌにも卸しています。 




最後の木型職人


ダンドワのショーウインドーには、サンニコラを初めいろいろな人物を模った大きなスペキュロースが飾られていますが、これらは木型なしでは作れません。現在この木型を彫るアルティザンはベルギー中探してもたった一人しかいません。木型を彫って60年以上というヴァンデルヴォートさんです。手先が器用だったこともあり、指物師の叔父さんの手伝いを始めたのが木に触れるきっかけだそうです。最初は階段の手すりやイスの背飾りなどを彫っていましたが、そのうち一枚の木に人物などを彫ることに興味をもち、独学でこの道に入りました。



住居から庭続きの仕事場に入ると、彫りかけの木型や台紙などが溢れ、作業台はあらゆる種類の彫刻刀とノミで埋まっています。作業台に向かい力強い手つきで黙々と作業に打ち込む姿を拝見しながら、お話を伺いました。「若い頃は古い木型を探して、ベルギーはもちろんオランダなどへも行きました。なにしろ誰も教えてくれないので、昔の木型から学ぶほかありませんでしたからね。そこから自分なりに工夫するのが面白かったし、他の国の木型職人と交流を温めたりするのは楽しいものでした。美術館や民族博物館へも頻繁に足を運びましたよ。私は今でも好きでこの仕事をしていますが、若い世代の人にとっては地味で退屈な仕事なのでしょう。我家の子供達もこの仕事に興味がありません。辛うじて孫が時々ここで遊びながら何かを作っていますが期待はしていません。私が最後でいいのです」。



アルティザンの技術や熱意を後に伝えられないのはとても残念なことですが、かなり体力がいる作業のうえ一日中立っているのを見ていると、まだ現役で仕事を続けているだけでも奇跡のようだと思いました。その言葉通り、本当に楽しそうに仕事をしているヴァンデルヴォートさん。Vive l’artisan ! アルティザン万歳!

 

注:冊子ボナペティ200612月号より

 

DANDOY

31, rue au Beurre 1000-Bxl

www.maisondandoy.com