ニシンが来た!

2015年6月

 

 

日本では「春告魚」とも呼ばれるニシンは、ベルギーにも初夏と共に登場します。特にこの時期のニシンは「乙女のニシン」と称される初夏の風物詩です。この若いニシンのことを、フラマン語やオランダ語で、マーチョス(maatjes)、フランス語ではアラ ヴィエルジュ=バージンのニシン(hareng vierge)といいます。毎年6月の初旬、オランダでは、初漁のニシンが女王に捧げられると『ニシンの到来』を祝う祭りの幕が切って下ろされます。スケベニンゲンでは一番樽がオークションにかけられ、収益が救済事業に寄付されます。こうなると街中に“マーチョス到着!”のポスターが貼られ、まるでボージョレヌーヴォーのような騒ぎです。民族衣装を着たかわいいオランダ娘が、ニシンを手で摘まんで口に入れようとしているポスター。見かけた方も多いと思います。


ニシンはすごい

ニシンほどその名を歴史に残した魚はありません。塩漬けされたニシンはポンペイに運ばれ、シーザーなど皇帝たちの食卓を飾りました。6世紀にノルウェー人を飢饉から救った魚も、もちろん「ニシン」。カール大帝が後にハンブルグと呼ばれる港を作ったのも「ニシン漁」のため。ハンザ同盟商人が大胆にもデンマークに宣戦布告し圧勝しますが、これもニシンの漁業権を争ってのことでした。また英仏百年戦争のさなか、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍をブロアから追い払おうとして敵兵糧のニシン樽に砲弾を撃ち込んだ、いわゆる“ニシンの戦い”は有名で、戦にその名を残した魚は他にありません。

さらに、塩漬けニシンに不可欠な塩を求めてハンザの商船隊はブルターニュ、スペイン、そしてポルトガルまで南下(この道は塩の道と呼ばれた)、ニシンはまさにヨーロッパの北と南の商業を結んだのです。その結果、各国の銀行は競ってブルージュに支店を置き、おかげでこの町はいろいろな言語や貨幣が飛び交う経済の首都となりました。その後アムステルダムがヨーロッパの倉庫となるにつれ裕福なプロテスタントの商人達が台頭、彼等がその後のオランダの独立への原動力となりました。オランダの独立は「ニシンのお陰」と言ったら大袈裟でしょうか。


ニシンとは

イワシの仲間のニシンは、塩分の薄い、013℃の寒流域沿岸であればどこにでも生息する冷水魚です。あまり移動をせず、常に群れで行動しているためその名はドイツ語で軍隊を意味する“heer”に由来します(英語でherring,フランス語でhareng)。産卵期には海が真っ黒になるほど大群で沿岸に押し寄せるため、わざわざ船で沖に出なくても網を落とせばイヤというほど獲れたそうです。保存食としての完璧な質とその無尽の量を讃えて、ハンザ商人はニシンのことを「海の金貨」、または「海の麦」と呼んでいました。安価でしかも一樽あれば一年間の栄養源となったニシンは庶民の魚でしたが、四旬節の期間は肉食が禁じられていたため、金持ちにとっても無くてはならない食物でした。

前述した「乙女のニシン」とは、2歳半から3歳の生殖機能をまだ完全には持たない、つまり卵巣や精巣がその機能を完全に発達させていないものを指します。長い冬が過ぎ、餌のプランクトンが豊富になる5月から6月になるとニシンは猛烈に食べ始めます。この段階で食べたものを脂肪に変えるので、この期間の漁で水揚げされたものの脂肪含有量は冬の18%~25%増になります。


美味しさの秘密

新鮮なニシンの身は柔らかく、うすいクリーム色をしています。香りの良い独特の風味は他の魚にみられない特徴ですが、これは水揚げ直後に船上で独特な処理を施すからです。特別な処理とは、魚の内臓をすい臓のみ残してナイフで一気に除き取り、血抜きをし、塩漬け液の入った50リットル入りの樽に仕込むことです。血抜きをすることで、背骨の周りには全く赤い所のない素晴らしく白い身が得られます。しかしそれだけではあの風味は生まれません。すい臓を残したことが鍵です。すい臓の酵素はニシンが塩漬け液に浸されるや否や発酵し始め一日続きます。酵素により身が“成熟”するので、独特の香りを持つというわけです。

漁は5月末から始まりますが、「乙女のニシン」は夏の約2ヶ月間という短い期間に水揚げされた魚だけを言い、その後はただ「ニシン」として1年中出回ります。


ニシンの目利きは

しっかり脂がのったマーチョスはベルギー人にとり、江戸っ子が女房を質にいれても食べたいといった初鰹の様に、待に待った初夏の食べ物です。でも面白いことにマーチョスを喜んで食べるのはベルギー人、オランダ人、それとドイツ人だけとのこと。

さて、大西洋北欧ニシンは、ノルウェー春産卵、アイスランド春産卵と夏産卵の3種類に分類されます。ベルギーに入ってくるのはノルウェーからが多く、冬をフィヨルド内で過ごし、ノルウェー北部や南西海岸北部などで産卵します。

 

ところで、乙女のニシンの目利きは断然ベルギー人とオランダ人だそうです。ノルウェー人は漁具の改良、技術進歩、大型船の導入など、漁業に関しては他国の追従を許しませんが、ベルギー人やオランダ人にいわせると、獲るだけでその後のフォローが水準に達していないそうです。脂が乗っているため取り扱いに十分な配慮が必要である乙女のニシンの「質」については、彼らがノルウェーに根拠をかまえ目を光らせています。尚、スーパーや魚屋で売られているニシンは「鮮魚」と明記されていなければ、薄塩に漬けてあるものです。


栄養と食べ方

ビタミンA,D,B12を大量に含み、血液の循環を良くし血管系の病気の予防に効果があるエイコサペンタエン酸(EPA)、脳を活性化するとされているドコサヘキサエン酸(DHA)も豊富です。食べ方はシンプルがベスト。みじん切りの新玉ねぎ(又はスペインの玉ねぎ)とあればみじん切りのパセリ、これだけです。オランダ人は口を天に向かって開け、ニシンのしっぽを掴んで手を頭上高く上げニシンを頭から(頭は落としてあるが)丸ごと飲み込みますが、慣れていない方はご用心。なにしろ乙女のニシンは脂が多く滑りやすいので、喉に詰まります。定番の飲み物は冷やしたジン(ペケなどに代表される郷土のものと良く合う)または冷たいビールです。