復活祭の卵

 

2014年4月

 

  

春を告げる行事は何といっても復活祭。

おりしもこの時期、時計が夏時間に切り換わり、街は急に光に溢れます。店のショーウインドーにはヒヨコや卵が登場して“イースターの始まりだ~ィ”。でもどうして卵なのでしょう?

 

 

世界は卵から始まった

 

太古の昔から卵は「生命」「繁殖」「肥沃」「完全」といったものの象徴であった。

  中国:卵黄は大地を表し、卵白は空と天体を意味する。すなわち宇宙は卵から始まった

  インド:この世とそこに生きるすべてのものは金の卵から創られた。

  ケルト:創造物のすべてはヘビの卵が源である。

  インカ:インカの神々は全て卵から生まれた。その神々が地上に民を増やしたいと父なる太陽に願った時、太陽は3つの卵を地上に送った。金の卵からは貴い人、銀の卵からは女性達、そして銅の卵からはその他のものがあふれだした。

 

 

復活祭と卵の関係

 

ペルシアでは5千年も前から、春になると季節の新生を祝い、友情、幸福のシンボルとして卵を贈り合うという習慣があった。他の民族も宗教の違いはあっても、自然への憧憬、感謝、新生の喜びを分かち合う意味で、卵の交換を常としていた。

 

初期のキリスト教は、これら異教徒たちの習慣をためらうことなく継承して、彼らの宗教と結びつけたのだった。自然界の復活(新生)という世俗的なものとキリストの復活という神聖なものを重ねるという、なんと効果的な演出であろう。こうして卵は復活祭には欠かせないものとなった。

 

 

卵のたどった道

 

最初のうちは祭壇を飾っていた卵だが、ルイ7世のころからは王からの贈り物として、復活祭の日曜日の大ミサの時に色付きの卵が領民に配られた。この習慣はルイ11世まで続いた。が、ある時ルイ11世はこの伝統的な行事を無駄な出費と考え突然廃止してしまった。さらに、四旬節(復活祭の前の断食をする40日間)の間、卵の消費まで禁止した。卵が口にできるのは聖日曜日の大ミサの後とされ、しかもその卵は聖金曜日(キリストが磔刑にあった日)に産み落とされたものと決められていた。これはこの日の卵を食べると次の復活祭まで病気にかからないと信じられていたためである。

 

1316世紀、聖職者達の間ではダチョウの卵がもてはやされ、それはだんだんエスカレートして金箔で覆われたり、銀や貴石で作られるようになった。17世紀になると贈答用としての卵が作られるようになり、ワットーやブーシェなどの有名な画家達が絵を描くなど、上流社会では必須のアイタムとなった。ルイ15世からデュバリー夫人へ、ナポレオン3世からユージェニーに、アレクサンダー3世からマリア・フェドロヴナへといったぐあいだ。

 

かの有名な宝石細工師ファベルジェ(Fabergé)はロシア皇帝のために何年もかけて「57個の不思議」と呼ばれる不朽の名作を残している。ちなみにファベルジェは現在でも高級ブランドとして高価な宝石を創っている。もちろんこういった貴金属製の卵は金持ちに限られ、一般人はペンキで色を塗った卵で我慢しなければならなかった。

 

 

日のイースターの卵

 

子供の頃、庭や茂みに隠してあるチョコレートの卵を夢中で捜した楽しい思い出のない人はいないであろう。もちろん卵は親がこっそり置き、子供が見つけた卵は“ローマから鐘がわざわざ運んできた”と説明される。ところがアルザス地方では(フランスのほかの地方の人にいわせると、アルザス人は変わっているらしい)白い野ウサギが産んだ赤い卵がみつかるそうだ。またこの地方では仔羊の型に入れて焼かれる特別なケーキもあるという。

 


 

というわけで、復活祭にはチョコレートで造られた卵やヒヨコをはじめ、めんどり、うさぎ、仔羊、鐘、魚がパティスリーの店頭を飾り、この期間に食べられるチョコレートは5千トン以上に達するといわれている。この産業の大部分はイースター時に製造され、売り上げも年間の半分にもなる。チョコレート関係者にとって、復活祭はまさに春を呼ぶものであろう。さて、復活祭の日曜日のご馳走は、仔羊や羊の肉抜きには考えられないが、なぜ羊なのか? これはユダヤ教に起源する。旧約聖書「出エジプト記」には、預言者モーゼがエジプトのファラオの奴隷であったユダヤの民を、海を真っ二つにするという奇跡により解放したとある。神に感謝し“焼き尽くすささげもの”をしたが、これが羊飼いの民ユダヤ人の財産である羊であった。一方、キリスト教では仔羊はキリストを現すものなので、人類の罪を負ったキリストとイメージが重ねられたらしい。

 

参考文献Le bon vivre          Jean-Pierre Coffé

          Larousse