Mr. ONG Eng Chuan    Ambassador of Singapore     

 

2015年1月


 

外交官は外国語が上手いのが当たり前で、何ヶ国語も操る方が多いものですが、こんなに日本語がお上手な大使にお会いしたのは初めて。ですからインタビューも全て日本語でした!

オン大使は、高校卒業後、理系のトップ大学である東京工業大学に国費留学。卒業後は母国の外務省に入省。以来、日本、中国、韓国などとの国際政治の専門家として、国内はもちろん、2度の日本のシンガポール大使館勤務、ワシントン大使館勤務と活躍されていました。2012年、ベネルックス及びEU代表全権大使としてベルギーに赴任しました。


 

憧れの日本

 

なぜ日本に?という質問に、80年代のシンガポールは、明菜などの日本のポップミュージックが流行っていたからと笑います。「独立したばかりの若い国シンガポールからみれば、日本は見習うべき経済大国です。理系の僕は、ソニーやパナソニックなどの家電の最新技術を誇る日本で、工学が学びたかったからです」。

しかし日本語ゼロの彼は、まず一年間は外語大で日本語を習いました。言葉をはじめ、食生活、文化の違う東京での最初の一年間は、18歳のオン君にとって楽しいことばかりではありません。特に、白人で日本語ができない人と違い、一見東洋人の顔をしていて英語しか話せない彼への日本人の態度は、混合文化で育った彼にとっては不可解であり、悲しくもありました。

が、奨学金をもらっているという責任感と若さで乗り切り、次第に生活をエンジョイ。大学ではバトミントンとテニスのサークルに入り、お酒が強くなるにつれ、日本語も上達したそうです。王貞治が監督をしていた頃の巨人の熱狂的なファンで、王監督のサイン入の色紙や小笠原のサイン入のバットが、大使館の会議室に飾ってあります。ちなみにインタビュー当日のネクタイもジャイアンツのロゴ入りでした。

シンガポールとは 


大使にシンガポールを一言で説明して頂きました。「シンガポールは長い間イギリスの支配下にありました。独立後は、発展していた隣国のタイやフィリピンなどと友好を保ちつつ、成長しなければなりませんでした。人口の約75%が中国人でその他マレー系、インド系などの多民族なうえ、国語も英語、中国語、マレー語、タミル語とあり、おまけに土地はなし、資源なし、水までマレーシアから輸入しています。でも何もないからこそ、何かを作り出す力が湧くのです。肌の色や宗教は違っても、我々は自分たちをシンガポール人と思っています。強い信念をもったリーダーのもと、今では経済も世界上位にまでなりました。シンガポール人を一言で言うなら、ダイナミック、フレンドリー、コスモポリタンでしょうか」。


シンガポール料理


中国とマレー文化が混ざったプラナカン料理の代表料理である、シンガポールラクサ(Singapore Laksa)を用意して下さいました。クエパイチー(Kueh Pie Tee)は、少しピリッとするココナッツミルク味の赤いスープに、カブ(スイートターナップ)、赤い人参、フレッシュな豆、詰め物をした豆腐とタップリの米の緬が入った、エビやゆで卵のトッピングをした見た目も綺麗な一品。濃厚ですが、こってりしていない繊細なスープと食材の見事なハーモニー。お代わりをしたいほどでした。


コーヒのお供は数種類のニョニャクエ(Nonya Kueh)。タピオカの蒸し菓子やもっちりしたクエダタール、クエインティ、バナナケーキなど、色も形も食感も様々で可愛く、甘さ控えめでこれも大満足。現地ではイギリス統治時代の置き土産のアフタヌーンティーもあるそうですが、私は断然、これらのお菓子でお茶をするべきだと思います。エネルギッシュなまだ見ぬ若い国。近い将来行きたくなりました。



                             http://www.yoursingapore.com/content/traveller/ja/experience.html