バイオリニスト 堀米ゆず子氏     Mrs.Yuzuko Horigome

 

2015年2月

 

現在は世界各国で音楽コンクールが開催されていますが、当時世界3大コンクールといえば、「チャイコフスキー国際コンクール(ロシア)」、「ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド/ワルシャワ)」、そしてベルギーの「エリザベート王妃国際音楽コンクール」でした。

 

 

エリザベート王妃は、ベルギー第3代国王アルベール1世妃で、音楽に造詣が深いことで知られています。王妃は、師であり友人でもあったベルギーの偉大なヴァイオリニストで作曲家のウジェーヌ・イザイの名を冠したイザイコンクールを後援(1937年に第1回が開催)、戦争で中断された後は、「エリザベート王妃国際音楽コンクール」として1951復活させました。余談ですが、第一次大戦で見せたアルベール国王の毅然とした姿勢や、国と国民を愛した両陛下のことをベルギー人は今でも賞賛、敬愛してやみません


          優勝

堀米ゆず子さんは、1980年、エリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で日本人として初めて優勝。桐朋学園大学を卒業したばかりの、花も恥じらう22歳でした。

偉大なるコンクールで優勝した瞬間の気持ちを伺いました。「司会者が最初に、『ウズコ・オリゴメ』とフランス語風の読み方で名前を呼んだので、一瞬だれかと迷いましたが、どうやら入賞したらしいと察しました(当時はフランス語のフの字も知らなかった)。順位は日本風に下からの発表だと思っていたのですが、発表と同時に歓声が沸き起こり、嵐の様な称賛の拍手に『優勝したのだ』と悟りました。

押し出される様に舞台にふらふらと上がり、何をしていいか分からないまま突っ立っていました。審査員に握手を求めるとか、観衆に手を振るとかすれば良かったのでしょうが、なにしろ未経験。本番用のドレスも一着しか持って来ていませんでした」と当時を思い出して苦笑します。

それにしても、審査員の顔ぶれがすごかった。ユフデイー・メニューヒン、ヘンリック・シェリング、ルジェーロ・リッチ、チョン・キョン・ファ(世界的ヴァイオリニスト)、ミッシェル・シュバルベ(ベルリン・フィルの伝説的コンサートマスター)、ドロシー・デイレイ(ジュリアード音楽院教授、門下生に優秀な音楽家多数)カルロ・ヴァン・ネスト(フランコベルギー派)など、きら星の如く輝く、そうそうたるメンバーでした。堀米さんが「こんなすごい方たちに聞いていただけるだけで、有難うございますという感じでした」と語るように、当時のトップばかりが顔を揃えていたわけで、コンクールのハードルの高さが図り知れます。

それ以降の快進撃の話は堀米さんのHPをご覧ください。http://yuzuviolin.com/jpn/index.html

 

 

たくさんの顔

 

堀米さんは今もバリバリの現役で、ソリストや室内楽奏者として世界の舞台でご活躍です。ですから演奏レベルを維持しつつ、レパートリーを広げるには、多くの時間を練習に割かなければならないはずです。その上彼女は、ブリュッセル王立音楽院の教授として後進の指導、そして指揮者の妻であり、2人の子供の母でもあります。

 教えるのはお好きですか?と愚問すると、「演奏するのと教えるのは、性質が全然違う両極端なものです。演奏するときは自分の空白部分(想像部分)を大きくしておかなければなりませんが、教えるときは具体的に言葉で言い表さなければなりません。難しいのは、それを受け取る側のパーソナリティーにより、理解力にだいぶ「時差」があることです。直ぐ分かる子、直ぐ忘れる子、なかなか分からない子が数年後、突然歯車が合って上手く弾けるようになることもあります。私は生徒に、私が教えることを自分で分かるように『通訳』しなさいってよくいいます。簡単ではありませんが、それができる子が伸びます」。

 何事にも全力を傾ける堀米さんは、教えることと演奏の時をはっきり分けています。海外ツアーの時は演奏家に専念、ベルギーでは教師と一家の主婦です。自宅で練習した後は、きっぱり家事に方向転換。料理上手な母になりきります。頭のスイッチの切り替えがお見事のようです。

 

 

昆布ダシ

料理をするのは好きで、昆布のダシをイタリアンやフレンチなどの煮込みに使うことがあるそうです。昨年イタリアで貴重な白トリュフを手に入れたときは、生米の中に親指の先ぐらいのトリュフを入れ瓶詰めにして持ち帰り、家族に極上のリゾットを作りました。鶏料理やオソブコは子供たちの大好物とのこと。お子さんの話になると、とたんに優しい母の顔になります。偶然在宅していた18歳の息子さんとのツーショット。堀米さんのとろける様なすてきな笑顔をご覧ください。